第53回

こんばんにゃ。

最近久しぶりにブログ更新するようになったじゃない!
なんてさもたまにチェックしてくれていたかのようなお言葉を今日は頂いたので、
ありがたやです。ありがとうです。

そして、
あのなんちゃらコンプリートも50何回になったけど一回もいい曲だと思ったことないぞ〜
なんて大変参考になるお言葉を頂いたので、今日はリヴェンジさせて!

かといってじゃあテイラースウィフト姉さん!好きだけど!って訳にも行かないので
今日は、
朝オレンジジュース、もしくはエスプレッソを飲みながら、
クロワッサンでも食べながら聴いてください。
ってな曲!

ハードなだけじゃない、ファンシー?いやシンフォニー?いやわからない、
しかしメロディアスかつ小洒落ている!そんな曲!
なんせヴォーカルがちょっとインテリ感があるのがたまらない!
そしてベーシストがいかにも職人ベーシストって感じもたまらない!

最近気付いたけど、僕のいうメロディアスは大抵オクターヴ奏法に関するもので、
それでどれだけメロディアスなやつをやってくれるかにかかっているようです。
だからマイケミがたまらなくメロディアスに聴こえるんでしょう。

Protest The Hero - C'est La Vie

time flies bro

先日ケータイにFacebookでチャットがきた。
Facebookでチャットなんて滅多にしないからどなたかや?なんて思ってたら留学中に知り合ったスリランカ人の彼だった。

調子はどうだい?俺たちは同じ寮にいたけど俺のこと覚えてるかい?
なんて覚えてるに決まってるよ!そんな同じ寮にいたとかそんなことまで持ち出さなくったって、
僕はあなたの名前見るだけですべての思い出が蘇ってくるよ!!

というのも彼が初めて留学中に自分から話しかけた人だったからね。
アメリカについて空港からバスで大学へ行き、ついた頃にはもう夜だった。
取り敢えず腹が減った。しかも近くに店的なものもなさそうだしこりゃ自分でどうにかしなきゃならなそうだ。
そして寮の前でタバコを吸っていた黒人風のいかつい兄やん。
この人に話しかけてみよう。それが彼でした。
スリランカ人らしく、見た目じゃ全然何人かわからないものよのう。
そして彼がスリランカ人の中でも、いやスリランカ人と限定しなくてもイケメン中のイケメンだったのは後で気付いたお話。
その時はまだスリランカ人を判断する力はなかったがのちに誰よりもスリランカ人好きになろうとはその時は露知らず。

彼はスリランカ人の友達をあと二人引き連れ僕をビュッフェに連れて行ってくれた。
スリランカの言葉でラサイが美味しいって意味だったのは今でも忘れない。

チャットで、お前をスリランカのバディー達の所に連れてってスリランカンフードを食べさせたっけなあ!へへへ!
なんて言われなくっても覚えてるとも!忘れるわけないじゃない!それが僕の一番のアメリカでの思い出だよ!!
家の前には雪だるまらしからぬ、ペニスだるまが造築されていて、
おい!これがなんだかわかるか?!
わかりますともアニキ!
ってな具合で下ネタはグローバルなんだと知ったのもその時。

彼とやり取したのも4年ぶりだったし、つまりそこまで友達と言っていいかはわからないし、
実際アメリカで今もやり取りしてる人なんていないし、ちゃんとした友達ができたかって言われたらできてない。
けど会った時のことを今でも覚えてくれていて、言葉にならないほどうれしいし、
自分は本当にその時がすごい思い出で、その思いを彼に伝えようと英語にするけど、冗談のようにしか聞こえない薄い英語にしかならなくて。
それが悲しいけど本当に僕はその時のことを鮮明に覚えてるしこれからも忘れない記憶になってるんです。
自分にとって思い入れのある国は日本アメリカそしてスリランカってくらい。

時が経つのは早いねなんて日本語では神様も聞き飽きたような言葉、
英語で初めて聞いたらそれはそれで悪くないね。

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iPhoneからの投稿

にゃんにゃん

これだけ歳月がたっているのにも関わらず名前を呼ぶのが恥ずかしく、
〜にゃんと呼ぶことで恥ずかしさを紛らわし、しまいにはにゃんにゃんと呼んでしまう時がくるのだろうかなどと恐れている今日この頃。
しかしにゃんにゃんとはこじはるを示す用語であるらしいことはなんということでしょう。

フロイト精神分析入門を読み終え、久々にギリシャ哲学に戻ってきてパイドンを読み始めました。
なんともタイムリーに肉体と精神の話題が出てきてくれとてもしびれます。
結局肉体と精神は分離できずその肉体に囚われている内は真理は得られず、
じゃあいつ?いまでしょ。じゃなくて、
死んで肉体から解放された時なんてなんてまあまたそりゃ。

あと最近ちょっとしびれた考えが、自我だって結局は自分が作り上げてる想像にすぎないってやつね。
結構自我自分の中では確かな物って考えの方が大きかったらそっちの考えにはハッとしちゃいました。
ただ単にそれがずっと同じ肉体を借りてるってのがその想像の自我が居座るのを長くさせてるみたいなことだったような。

そんなことを言うのがG.I.グルジェフというロシアの人らしいので近いうちにチェックしたいと思います。

あとは自分とのおしゃべりについてもその人は言ってるようで、僕もその考えに留学中至ったので、なんて偉そうなことを言いつつ、
やっぱり彼は興味深そうです。

そう、一人になった瞬間自分とのおしゃべりが始まるんですよ。

iPhoneからの投稿

第51回

今日はメロディアス。メロディアス中のメロディアス攻めです。
PVがないのに載せるということは、本当に、それだけ、とんでもないということです

彼らはもう始めからとんでもないオーラがありましたが、
彼らのちょっとしっとりめの曲調のこれは本当にたまらないです。

どこらへんにしびれちゃうかと言いますと、
00:51〜00:54の繋ぎは本当にたまりません。
あとはもうサビ前のなんて本当に羽ばたきそうになっちゃいます。

Hopes Die Last - I Belong To The Skies

meaningless persistence

心が満たされてたらいい、なんてよく聞く話でしょう。
よくセックスレスや相方のセックスに満足していない人々からよく聞かれる言葉であります。

でも世の中を見ているとそんな綺麗そうな話は無くて大抵の満足は体の方が先じゃありゃしませんか。
遠距離恋愛中のカップルに「やつらは続かない」と言って外れることがありましょうか。
それに肉体の満足が起因している可能性を誰が排除できましょうか。
そもそもそのような関係に精神的な繋がりがあったと言えるのでしょうか。

肉体の満足で感じる繋がってる感覚ほど恐ろしいものはありません。
心は繋がっていなくてもなにかそのようにさせるあの恐ろしい魔物は何なのでしょう。
そしてそれを偽りと呼んでいいのかという疑問が1番恐ろしい疑問であります。
しかし男は射精した後の自分に聞くとそれに信憑性がありそうなことに気付くでしょう。

精神で繋がっていることで愛されているということを感じにくいのはなぜでしょう。
肉体ではあんなにも一瞬で愛されてるという気持ちに変換されるというのに。
肉体で得る満足感と同じものを得るのに精神では何倍のそれが必要なのでしょう。
難しいことなど考えずわかりやすいもので満足しとけばいいように人は創られたのでしょうか。
そう考えるのが今の所の世界では自然なようですね。

そして世の中にはその話題に関して割り切るという興味深い言葉もございます。

タイトルとは関係があまりなくなってしまったのはいつものお話。


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