にゃんにゃん

これだけ歳月がたっているのにも関わらず名前を呼ぶのが恥ずかしく、
〜にゃんと呼ぶことで恥ずかしさを紛らわし、しまいにはにゃんにゃんと呼んでしまう時がくるのだろうかなどと恐れている今日この頃。
しかしにゃんにゃんとはこじはるを示す用語であるらしいことはなんということでしょう。

フロイト精神分析入門を読み終え、久々にギリシャ哲学に戻ってきてパイドンを読み始めました。
なんともタイムリーに肉体と精神の話題が出てきてくれとてもしびれます。
結局肉体と精神は分離できずその肉体に囚われている内は真理は得られず、
じゃあいつ?いまでしょ。じゃなくて、
死んで肉体から解放された時なんてなんてまあまたそりゃ。

あと最近ちょっとしびれた考えが、自我だって結局は自分が作り上げてる想像にすぎないってやつね。
結構自我自分の中では確かな物って考えの方が大きかったらそっちの考えにはハッとしちゃいました。
ただ単にそれがずっと同じ肉体を借りてるってのがその想像の自我が居座るのを長くさせてるみたいなことだったような。

そんなことを言うのがG.I.グルジェフというロシアの人らしいので近いうちにチェックしたいと思います。

あとは自分とのおしゃべりについてもその人は言ってるようで、僕もその考えに留学中至ったので、なんて偉そうなことを言いつつ、
やっぱり彼は興味深そうです。

そう、一人になった瞬間自分とのおしゃべりが始まるんですよ。

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