お元気ですか?

梅雨ほど嫌いなものはない気がする。晴れているというのはそれだけで素晴らしいのだから。そして革靴、眼鏡にこだわり出してからというもの、雨の日はお気に入りを身につけられないからテンションが下がる。好きな物を身につけるとそれだけでカチッとした気分になる。


いつからかファッション雑誌などは見なくなり、自分の着たい物が決まってきた気がする。恐らく自分のおじいちゃんの影響なのだろうけど、ジジイみたいな服装が渋くかっこいいと思う。いつからかズボンはスラックスしか履かなくなった。いつかおじいちゃんがよくやっていたスラックスに下駄が履けるようなジジイになりたい。

大切だった人に赤ちゃんができたと知ったらどうなるのかと、そんな日も近く来るだろうとは思っていたけど、思っていたよりは大丈夫だった。最近はあまりにも時間が流れるのが早くて、それを受け入れるしかなくて受け入れて、そしたら自然と過去のことになった。そんな言い方はしたくないし、そこで終わったという意味の過去ではなく。あんな事もあったねと後から振り返られるような関係でいる覚悟が出来たのかもしれない。それだけお互い進んでいるらしい。

最近は家族の繋がりについて前よりも考える。結婚して次は自分の子供の可能性もあるのだし。赤ちゃんを見てかわいいとは未だに思わないけど、歩いてるくらいの子供と親を見ると自分と照らし合わせて考えてしまう。自分の子供だったら可愛いと思わないはずがなく、ここに自分の子供がいて、その人間と話をすると言うのはどれだけ楽しいことなのだろうかと。自分の母親も自分が子供だった時はそんな気持ちだったのだろうかと思う。母親が「お前もこんなに小さい時があってかわいかった」とよく言っていた。そしてその人間が大学へ行き、就職し、結婚して、その経過を見てきたのはどれだけ楽しかったのだろうと思う。そんなことを考えるとそう言えば今まで母親の気持ちになって考えたことが無いことに気付いた。そして母親も自分の子供を可愛いと思っていたのだろう、と自分が思えるということは愛を持って育ててもらえたということなのかもしれないと思って、なんとも言えない気持ちになった。

それと関係してかしないか、「お前に娘はやらん!」という展開をよく聞くが、果たしてそんな事があるのか。確かに娘は可愛いかもしれない。手放すのは辛いかもしれない。しかし、この世で最も信じることのできる人間「自分」と、最も信じたいと思う人間「愛する人」から生まれた人間「娘」。そんな彼女が選んだ人間「男」。彼女のその判断を信じたいと思わない事があろうか、その男を信じたいと思わない事があろうか!